サイパン と感染症の歴史 サイパンのマリンスポーツとダイビング サクラマリン

こんにちは。サイパンのマリンスポーツとダイビング サクラマリンのダイビングインストラクターAKARIです。

このブログは次回のダイビングが快適に、そして少し楽しみになるような記事を目指しています。

*この記事はパンデミック中にnoteにて連載していた『サイパンについて考えたことマガジン』のリライトです。

現在、サイパン は新型コロナウィルス拡散防止のため空港は閉鎖、市民は夜7時から翌朝の6時まで外出禁止です。(2020年4月1日)

現在の感染者は2名、死亡者1名、ホテルを隔離施設として80名以上の方を収容しているらしいです。(2020年4月1日)

不要・不急の極みの観光業のワタシは、もちろん最前線で戦っている必要・火急の皆様のお手を煩わせないよう家でじっとしていることが最大のミッション。

ということで、大掃除をしたり、サイパン が忘れられないようにSNSで地道に発信したり、勉強したり、ドラマを一気観したり、自生のパパイヤで漬物作ったりとそれなりに過ごしているわけですが、先日この動画を観て

あれ!これ確かサイパン にもあったと思い出してまとめてみました。

この動画によると、アステカ文明やインカ文明を滅ぼしたのはスペイン人が持ち込んだ天然痘なんだって。

 

ってことで、今日の参考文献はコチラ。

テニアン 太平洋から日本を見つめ続ける島 / 吉永直登 【本】

図書館にも行けないので、家にある本です😉

なんと、このブログを著者の吉永さんが見てくださったようで、今年の7月にサイパンにいらした時にお声がけくださいました。今度は「サイパン」についての本を執筆中だそうです。楽しみだなぁ~♪お会いした時にサインももらっちゃいました。

サイパンと感染症の歴史

サイパン の原住民・チャモロ人と西洋人の初めての接触は1521年のグアム で当時世界一周中だったスペインのマゼラン船団。

1521年ですよ!日本は室町時代。国内で揉めてた時代に世界一周だなんてスペインすごいなぁ。

そして、1668年イエズス会の宣教師(サンビトレス)がキリスト教布教のため派遣されたそうな。

17世紀後半には『天然痘』と見られる伝染病により、特に子供に多くの犠牲者が出たんだって。

当時のチャモロ人の考えは

「宣教師が洗礼で使う水に毒が入ってるんじゃないか?」

という考えが次第に広まっていったそうです。

元々の宗教観や文化との違いに、ちょっとキリスト教が窮屈に感じていたことも合わさって1672年に勝手に幼児を洗礼させたことに激怒したチャモロ人に宣教師・サンビトレスが殺害されたことをきっかけにスペイン、チャモロ戦争が始まってしまったそうな。

ちなみにコチラの本には

サイパン・グアム光と影の博物誌 [ 中島洋 ]

当時、グアムに住みついていたチャコと呼ばれる中国人が洗礼の水に毒が入ってるんだとの噂を流したらしいとの記述がある。

中国もすごいな…日本はまだ国内で揉めてるっていうのに…。

ま、話は戻すと1695年にスペイン艦隊がサイパン に乗り込んで来て銃器で制圧し、その後1730年頃までチャモロ人掃討作戦は続いたそうです。

テニアンの地元歴史家ドン・ファレルさんによると3万人いたと見られるチャモロ人は、伝染病とスペイン人の攻撃により最後は3000人にも減ってしまったそうな。

もうひとつのサイパン と伝染病の歴史は、1835年にグアムのスペイン総督が北マリアナ諸島(サイパン 島とテニアン島)にハンセン病の隔離施設を作ったそうです。

1835年と言えば日本は江戸時代。やっと国内がまとまって平和が長く続いて文化が育ってきた頃ですね。異国船打払令から10年後ですよ…。

人が動く歴史の影に伝染病の歴史があるんですねぇ。

この記事を書いてから3年が経ちました。サイパンの観光も再開し、少しずつながらツーリストも戻っています。

しかしながら、感染症の歴史は人の動きが比べ物にならないくらい速くなった今はもっと早く繰り返される可能性がありますね。次に「遊びに行きたくても行けない状況」がやってくるまえに、ぜひサイパンへ一度遊びにきてくださいね♪

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